第6章 オリパラで都市を変革する ~東京2020オリンピック・パラリンピック②~ おわりに

 オリパラはスポーツの祭典であると同時に文化の祭典でもあります。千葉市、千葉県ともに大会開催に合わせて本格的な文化プログラムを開催する予定です。
 千葉市の文化面の財産といえば、千葉市美術館です。東洲斎写楽や葛飾北斎らの近世の浮世絵のコレクションが有名で、海外からも高い評価を受けています。また、能力の高い学芸員が企画する様々な企画展は美術関係者の間で評価が高く、全国の公立美術館の中でも独自の立ち位置にある美術館です。東京2020大会が決定した時、千葉市美術館では大会期間中に「ジャポニスムと浮世絵展」(仮称)を開催することを早期に決定し、入念な準備をしてきました。ぜひ多くの方にお越しいただきたいと思います。
 さらに、千葉市ではオリパラを見据えて、美術館のリニューアルを進めてきました。千葉市美術館が入っている建物の中には、旧川崎銀行千葉支店である「さや堂ホール」があり、千葉市で現存する数少ない歴史的建造物の一つとして市の文化財に指定されています。格調高い建物ですが、中央区役所と千葉市美術館という異なる属性の施設が入っている関係でエレベーターの導線が複雑となるなど、建物の良さが十分に引き出せていない状況でした。また、千葉市美術館は浮世絵だけでなく、伊藤若冲や草間彌生ら豊富なコレクションを所蔵していますが、スペースが狭く常設展が開催できないため、十分に展示できないという課題がありました。
 そこで資産経営の戦略の一環として、中央区役所を保健福祉センターが入っている「きぼーる」に移転し、区役所と保健福祉センターを一体化させ、業務の効率化と区民の利便性向上を図り、次に中央区役所跡スペースを活用して千葉市美術館を拡張し、常設展示室、市民アトリエ、子どもアトリエなどを設け、真に千葉市の文化拠点としてリニューアルすることとしました。この拡張工事も2020年7月には工事が終わり、新生千葉市美術館でオリパラを迎えることとなります。

 大会をきっかけに千葉市で実現した社会変革として受動喫煙対策とLGBT(性的少数者)に対する理解促進があります。オリパラと何の関係が?と思うかもしれませんが、IOC(国際オリンピック委員会)はWHO(世界保健機関)と「たばこのないオリンピック」を推進することを2010年に合意しており、東京2020大会の開催決定は日本における受動喫煙対策の大きな契機となりました。また、オリンピック憲章では人種・肌の色・宗教などに加えて性別・性的指向に対する差別禁止が謳われており、オリパラを開催する国・都市としてLGBT施策の一層の強化が求められています。
 日本はご存じの通り、受動喫煙対策について世界最低レベルと長らく指摘されてきました。オリパラ開催国となり、いよいよ対策を強化せざるを得なくなったわけですが、様々な反対勢力に配慮し、わずか一段階改善しただけの、近年のオリパラ開催国では最低の規制にとどまりました。
 改正された健康増進法では既存の小規模飲食店は規制対象外となり、千葉市内の実に 92%の飲食店は喫煙ができる状態のままになってしまいます。市民が受動喫煙にさらされる機会が最も多いのは飲食店( 37・1%)であることを考えると、当初の厚労省案から後退した国の規制は非常に残念なものでした。
 喫煙の有無は健康に影響を与える要因としては最大のものであり、年間で1万5千人もの方が受動喫煙の影響で亡くなっているという推計からも、受動喫煙対策の強化は医療福祉施策の中で重要度が高い施策です。施策の重要性、施策を実現する際の政治的難易度を考えれば、オリパラ開催を契機に対策できなければ二度と実現するチャンスは無いと考えるべきです。
 そこで、千葉市ではこの機会を逃さず、後世に残る対策を打つとの覚悟を持って、実効性のある独自規制の検討に着手しました。幸い、千葉市は自民党市議団で医師会出身の市議が長年受動喫煙対策の必要性を訴えていたこと等、市議会にも規制推進派が多く、議会や医師会とも歩調を合わせながら進めることとしました。
 飲食店への規制としては、利用者だけでなく働く人の健康を守るという観点を盛り込み、小規模店であっても従業員がいる場合は喫煙不可とすることにしました。この視点は私が所管に指示し、所管が練ってくれた内容で、店舗面積で規制対象を設ける当初の厚労省案に比べると、我ながら合理的かつ独創性のある条例案だと自信を持っていました。それだけに、議会等と調整しながら条例骨子の発表に向けて準備していた時、東京都が発表した条例案が全く同じ観点での規制内容だったので大変驚いたことを覚えています。東京都の後追い的になりましたが、結果的には開催都市で同じ視点での規制となったことは混乱を招かず良かったのだと思っています。
 東京都の条例は都議会で自民党都議団は反対されたそうですが、千葉市議会では自民党も含め全会一致で可決され、文字通りオール千葉市で受動喫煙防止に向けた強い意志を示すことができました。
 この千葉市独自の条例により、国の法律のみでは千葉市内の飲食店の8%しか規制されないのに対し、条例を加えると 70%が規制対象となります。喫煙される方にとっては「世知辛いなあ」と思われるかもしれませんが、この条例は市民や従業員を受動喫煙から守り、各種健康データに徐々に影響が出てくるでしょう。オリパラが無ければ実現できなかった大きな独自施策の実現となります。
 受動喫煙を防ぐため、条例に加え子どもたちの受動喫煙の影響を尿検査で調べるコチニン検査も2019年度から開始しました。受動喫煙で自分の子どもの健康がどの程度影響を受けているかが見えるようになります。埼玉県の熊谷市で実施した事例があり、当時は保護者の喫煙率は 48・8%ほどでしたが、 38・ 08%ほどに低下しました。こうした事業を含め、市民の理解を広めていきたいと思います。
 また、千葉市はLGBTを主な対象とするパートナーシップ宣誓制度を創設する等、多様性ある社会の実現に向けて着実に前進しています。
 オリパラを開催する東京都が千葉市と同様の受動喫煙防止条例を制定し、万博を開催する大阪府も実効性ある受動喫煙防止条例を制定、万博前に全面施行となります。
 パートナーシップ宣誓制度は横浜市や大阪市等オリパラ・万博開催都市で続々とスタートしています。
 何のために莫大な予算をかけてオリパラや万博を開催するのか。それは社会をアップデートするためです。

 先進国となった日本では前回大会のようなハード面での変革は望めません。しかし、オリパラや万博開催を契機にしなければなかなか実現できないソフト面での変革こそが、オリパラや万博の真の効果と言えます。
 本来なら、千葉市が制定した受動喫煙防止条例は、東京都や大阪府が制定したように、オリパラ開催県である千葉県が制定するものです。千葉市が独自条例の検討に入る際、県の意向を確認しましたが、県に制定する考えはないとのことでした。
 これだけの予算と人員等を要するオリパラを開催するのですから、開催する千葉県として何を後世への財産として残すのか、高い次元で構想し、時間をかけて実現に向けて取り組んでいく姿勢を持ってほしいと思います。少なくとも千葉県にはそれだけの力があります。
 大きな時代の潮流を見て、その時代に合った課題を提起し、実現可能な時期とプロセスを描けるかが私たち首長の仕事だと思っています。その課題さえ出せれば、あとは職員と取り組んでいけます。そして、課題提起が早ければ早いほど、衝突が少なく進めることもできます。
 千葉市ではオリパラが決まったときから受動喫煙防止対策、ボランティア文化の定着、障害者スポーツ環境の充実やLGBTへの理解促進等を通じての共生社会実現を考え、オール千葉市で展開してきました。
 ロンドン視察をした際、ロンドン市の幹部から「オリパラ開催に向けて準備することは大変だろうが、オリパラ開催都市だけがこの準備ができる。二度とない旅路( )をぜひ楽しんで」と言われことが印象的に残っています。
 千葉市は職員はもとより、多くの関係者のおかげで充実した旅路を歩むことができました。大会が無事に成功裏に終わり、オリパラ以降に残る財産を一つでも多く作れるよう、悔いのない準備を進めたいと思います。

<回顧録>「パラ大会を成功に導く熊谷市長の協力なリーダーシップ」

公益財団法人 日本障がい者スポーツ協会 常任理事
日本パラリンピック委員会 副委員長
髙橋 秀文

 「千葉を車いすスポーツの聖地にしたい!」熊谷市長から伺った大変印象的な言葉だ。初めてお目にかかってまだ4年ほどだが、常に有言実行を貫かれている熊谷市長はこの言葉の実現に向けても確実に力を尽くされている。
 現在、千葉ポートアリーナはウィルチェアーラグビー(車いすラグビー)、車いすバスケットボールのまさに聖地だ。どちらの競技も車いす同士の激しいぶつかり合いなどで、他のスポーツにない迫力を楽しめるのだが、一方、体育館の床を傷つけると自治体等から敬遠されるケースがあるのも事実だ。そうした中、熊谷市長は長年にわたり率先して車いす競技大会を受け入れ、応援してくださっている。その熱意はパラアスリートたちにも伝わっており、皆が深く感謝している。
 2017年頃から、千葉では幕張メッセでの4種目の「チケット完売、会場満員」に向けて、産官学が〝ONE TEАM〟となって取り組みを進めている。これは日本全体でも先んじた取り組みで、他の自治体はこの動きに大いに影響を受けている。そして、オール千葉で一体となってパラ大会を成功させようという動きの原動力となっているのは、熊谷市長の熱意と強力なリーダーシップだ。
 さらに、大会成功に向けての取り組みと両輪をなすのが、大会後の共生社会実現に向けての取り組みだ。熊谷市長はいち早くパラリンピック大会後のロンドンを視察される等、大会後に何を残すか、レガシー化の検討を開始されている。施設のバリアフリー等はもちろんのこと、大会を機に出来上がったボランティア組織の維持・拡大や、車いすスポーツを始めとしたパラスポーツの千葉における定着等、ハード・ソフト両面でレガシー化が検討されている。熊谷市長の率いる千葉は、パラ大会を契機とした共生社会の実現に向けても、先頭になって進んでいる。
 東京パラリンピックは1年延期となってしまったが、日本障がい者スポーツ協会としても熊谷市長率いる千葉市としっかりスクラムを組んで、大会を大成功に導いていきたい。

<回顧録>「オリパラ成功の先を見据えて ─市長と市民・経済界が一体となって」

株式会社ちばぎん総合研究所 取締役会長
水野 創

 千葉市は車いすスポーツと縁が深く、千葉ポートアリーナ恒例の「千葉市長杯争奪」車いすバスケ全国選抜大会は2020年で第9回(中止)を数えます。市内には多くの有名選手が愛用する競技用車いすメーカーもあり、このため、2015年の幕張メッセでのパラ4競技開催決定、市長の「パラスポーツの聖地」宣言は地元を大いに沸かせました。
 16年には、市長の 12年五輪開催都市ロンドン視察の呼びかけに千葉商工会議所など経済界も応じ、共生社会やロンドン大会では未達成だった「会場満席」に向け、意識を揃えてきました。
 課題達成に向け、千葉市のパラスポーツ応援イベント「 ─みんな一緒に共生する社会」では、経済界は市内各地の関連イベント、会場設備・ボランティアなどの準備状況確認ツアーをびな行い、社内ボッチャチームの結成も相次ぎました。商工会議所女性会の「つるし雛」、学生団体の体験イベントなども加わりました。活動を通じて市長が参加者と対話する機会も多く、ビジョンの共有・機運醸成に貢献しています。最近の会場の応援席は市民、経済界、授業で学んだ市内小中学生に家族づれと大変賑やかです。
 そしてオリパラ成功は、幕張のブランド力向上とともに、千葉駅周辺のまちづくりにも大きな意味を持つことになります。幕張メッセの仮設の観客席は終了後に撤去され、レガシーを継承し選手・観客をお迎えするのは「千葉ポートアリーナ」となるからです。
 ポートアリーナは千葉市街回遊の拠点です。周囲には、市長の肝いりで拡張工事中の千葉市美術館があり、ホテルの新増築・まちなか居住の再開発も市のグランドデザインに沿って進んでいます。中央公園では新しいイベント「YORU MA-CHI」も始まりました。市民が内外からのお客様とともに地域の特色ある文化を楽しみ、回遊できる街づくりへと、これを契機に弾みをつけ地元経済の持続性のある発展につながっていくでしょう。
 五輪開催は1年遅れますが、昨年の台風、足元の新型コロナウイルス感染拡大からの復興にも重なります。これからも市長が強力なリーダーシップを発揮されることを期待しています。

おわりに

  10周年を記念して本を書くという話が出たのは2019年の夏前だったと記憶しています。当初は2月頃までに執筆を終えて、3月頃には出版をする予定でした。
 しかし、9月の台風 15号襲来以降、相次いで災害が発生し、とても執筆どころではない状況になってまいました。災害対応が少しだけ落ち着いた年末頃から、予算編成作業や予算議会の準備を進めながら急ピッチで執筆を進めたものの、無理がたたったのか帯状疱疹を患ってしまい、一時は本のことを考えるのも苦痛でした。
 それでも書こうと思ったのは、意思決定を預かった人間の責任と考えているからです。
 私は市民から 98万都市の市長という重責を頂きました。市長という立場で決断したこと、その決断の背景にどのような考えや情報や課題があったのか、それを後世に残す責任があると考えたからです。
 新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、出版時期は遅れましたが、その分、納得のいくまで書き直す時間が生まれ、昨年の災害や感染症に対する市としての決断の背景についても書き残すことができました。
 千葉日報の全面協力で、その時々の千葉日報の記事を挿入することで当時の世情を伝えることもできたいともに仕事をしてきた職員の回想録などによって千葉市役所が組織一丸となって挑戦し続けてきたことも伝えることができたと思います。なお、職員の回想録は忖度があるかもしれないので割り引いて読んでいただければ幸いです(もちろん忖度しないでほしいとは伝えている)。
 巻頭メッセージを頂戴した大学の先輩である佐久間頭取を始め、協力していただいた皆さんに心から感謝申し上げます。

   2020年6月

熊 谷 俊 人