第3章 挑戦し、先駆例を次々と生み出す千葉市へ ~都市活性化①~

 予算の使い方を徹底的に見直す行財政改革に取り組んできた一方、税収増を図るため、千葉市の稼ぐ力を増強する改革にも取り組んできました。
 私が市長に就任した2009年当時、千葉市には戦略的な産業・経済政策が乏しく、他の政令市と比べ、遅れは明らかでした。経済部の職員数はわずか 32人しかおらず、政令市では最少。当時、トップの北九州市は202人、横浜市が201人、政令市の平均は100人前後。千葉市に次いで少なかった岡山市でさえ 45人もいました。
 千葉市は首都圏有数の国際交流拠点である幕張新都心を有していますが、幕張新都心は主に県が構想し、県企業庁が整備した拠点です。千葉市は戦後、積極的な埋め立てや川崎製鉄(現JFEスチール)の誘致など、産業施策に取り組み、それが今の礎となっていますが、高度成長期以降は積極的な経済・産業施策はほとんど展開していません。先人、もしくは他者の作った財産にあぐらをかいていたと言えます。
 就任後、政令市に相応しい経済・産業ビジョンを持ち、戦略的な施策展開ができるよう、経済部の拡充に努めてきました(2019年の千葉市の経済部職員 68人)。その中で大きな成果を上げてきた施策の一つに企業立地施策があります。
 従来は他市と同じような企業誘致の補助金しか持たず、かつ企業へのアプローチも、制度を紹介したパンフレットを送って反応を待つだけ、というものでした。
 それが不満だった私はある時、経済農政局長や経済部職員を呼び、「企業立地施策に力を入れよう」と指示しました。職員は他市の制度も調べ、思い切った制度改正などを提案し、従来と違って職員が東京や様々な地域に飛んで営業するようになり、ここから千葉市の挑戦が始まりました。
 最初から成果が出たわけではありません。他市との誘致合戦に敗れることも多々ありました。しかし、自らの足でアプローチしたことによって、「なぜ誘致に失敗したのか」「なぜ、この企業は千葉市に立地してくれたのか」が、自分たちの強みと弱みがどんどん浮き彫りになるのです。パンフレットを送り付けるだけでは絶対に分からない、自分たちの客観的立ち位置の把握こそが、経済・産業施策のみならず、都市政策全般の立案に大きな意義があるのです。
 強みとする産業への集中的なアプローチ、スピード感ある規制緩和などを行うとともに、補助制度もニーズに合わせて柔軟に改善を重ねてきました。
 私たちは「大きな投資よりも小さな投資を数多く」を大事にしています。大きな企業や工場を誘致することも重要ですが、その企業や産業が傾いた時、都市そのものが傾くリスクがあります。小さな投資は一件ごとのインパクトは大きくありませんが、数多く重なることで大きな投資にもなり、リスクの分散にもつながります。
 そのため、私たちは補助制度においても大企業・工場を対象とした補助制度だけでなく、中小企業でも複数年にわたって継続して投資することで補助対象となる累積投資型(マイレージ型)企業立地事業を他市に先駆けて創設しました。ほかにも誘致した企業が従業員を市内に転居させる、もしくは市民を正社員として雇用した場合に補助する雇用奨励補助金を創設するなど、他市に負けない、いや他市をリードする制度を有する都市となりました。
 制度だけではありません。私たちが企業誘致に成功した企業からは必ずといって良いほど、「千葉市さんの熱意、さらには立地にあたって、丁寧に制度面・手続き面のサポートをしていただいたことが一番の決め手です。民間企業でもここまで丁寧な営業はなかなかありませんよ。こうした姿勢で企業と向き合っていただけるなら、進出した後も安心だと社内を説得できました。」と言っていただきます。

 私が就任した当初は市内の産業用地は空きが目立ち、「いつ埋まるのか」と言われていましたが、好調な企業立地を受け、「このままでは用地が枯渇する」という状況となりました。
 産業用地が不足して、せっかく誘致できる企業を逃すことがないよう、早めに産業用地の確保に着手するよう指示し、千葉市の戦略的な企業立地の第2ステージが始まりました。
 市内で産業用地に適した場所を調査したところ、明治大学誉田農場跡地を始め、何カ所かが候補に上がりました。明治大学誉田農場跡地は 25ヘクタール以上の敷地を有し、JR誉田駅にも近い土地で、以前にも活用方策が無いか議論されてきた土地です。そこで、経済部にこうした土地について産業用地として活用できないか指示し、検討が始まりました。
 千葉市には千葉県や民間の産業用地はあるものの、自前の産業用地がありませんでした。そうした中で、従来の行政主体の産業用地整備では、売れ残り等でリスクがあり、財政的にも議会的にも簡単には了承できないところがあります。
 そこで、民間活力を導入し、産業用地の整備や誘致は民間企業が実施し、市は産業用地の下水道や周辺道路などインフラ等の整備に対して一定の負担をするという、全国で例の無い手法を考案し、公募することとしました。
 公募に応じたのはエム・ケー(株)という実績のあるデベロッパーで、場所は明治大学誉田農場跡地でした。その後、明治大学と丁寧な折衝を行い、土地活用に理解をいただくことができ、官民の役割分担による産業用地整備が実現しました。
 まとまった用地があり、かつ市街地・JR駅に至近という、極めて稀な産業用地です。今は人手不足で郊外の産業用地では雇用が集まりにくく、この産業用地は整備を始めた直後から全国的な引き合いがありました。この本が出ている頃には用地整備が終わっており、既に半分以上の立地企業が決まっている状況です。

 この手法は全国の自治体から注目され、さらには県が企業立地制度の一つとして採用しました。県内市町村が民間企業と組んで産業用地整備をする場合に県が補助する制度です。私たち千葉市が挑戦した枠組みが県内他市に広がり、千葉県全体の産業振興に貢献できることは嬉しいことです。
 一方で、私からは一つ県にアドバイスがあります。
 確かにこの制度を県が採用し、市町村の産業用地を支援することは評価します。制度創設のスピード感も早いものでした。しかし、千葉県自身も主体的に産業用地整備に取り組むべきだと思います。千葉市が実施した手法は、千葉市のフットワークの良さ、明治大学誉田農場跡地の立地の良さ等、様々な要因があって実現したもので、どの市町村も簡単に実現できるものではありません。
 本来、産業用地の整備のような大きな産業政策は県の仕事です。政令市である千葉市や、中核市である船橋市や柏市はともかく、一般の市町村に産業用地の整備を期待するのは、県の姿勢としてどうなのでしょうか。
 堂本県政で産業用地整備が止まり、森田県政になってようやく茂原と袖ケ浦の産業用地が整備されました。この 20年間、埼玉県や茨城県は無数の産業用地整備をし、補助制度も常に千葉県の先を行っています。
 森田知事は圏央道、北千葉道路など道路整備に力を入れていますし、アクアラインの低額化も含め、私も大いに賛同します。高速道路網は、その沿線に産業用地などを整備して初めて整備効果が最大限に発揮されます。成田空港の第三滑走路も含め、その整備効果を最大化する産業拠点整備に県が主体的に取り組むことを期待しています。
 千葉県は何の努力もせず、今の発展があるわけではありません。沼田県政、県企業庁による積極的な産業政策の財産のおかげで今があります。高度成長時代ではない令和の時代に同じことはできなくとも、将来の千葉の発展に向けて、県でしかできない挑戦を一つ一つ積み重ねてほしいと願っています。

 人口減少時代の中で、都市が活力を維持するために必要なことは雇用です。働く場所、特に女性が希望する職種の雇用が必要です。
 首都圏の自治体はともすると住みやすい都市、すなわちベッドタウン戦略に陥りがちです。しかし、人が住む場所を決める際に重視するのは、通勤・通学の便利さです。働く場所があり、そして通勤に便利な路線が選ばれ、予算等の兼ね合いから結果的に住む自治体が決まることの方が多く、事前に住む自治体の福祉や都市データを調べる方はあまり多くないのが現実です。
 極論を言えば、福祉が充実していても働く場所がない、もしくは通勤に不便であれば人は住まないし、働く場所が充実していたり、通勤に便利であれば人は住みます。
 もちろん、住みやすい都市を作ることは今いる市民にとっても、これから住む市民にとっても大事なことであり、福祉が必要ないと言いたいわけではありません。当たり前だと思っている常識を一つ一つ疑って、因数分解をした上で戦略を立案する必要があります。
 いつの時代も基礎自治体にとって最も根幹的な税収は市民税ではなく固定資産税です。住んでいる市民に安定して充実した福祉を持続的に提供するためには、人口を増やすこと以上に固定資産の形成、つまり投資を促進することが重要です。

職員の回想 ~元経済農政局長(今井 克己氏)~

○全国初民活手法の工業団地造成
 市内経済の活性化へ、2012年度から「企業立地補助制度」を大幅にリニューアルした結果、企業立地件数は飛躍的に伸びましたが、産業用地不足が顕著となりました。千葉市には「千葉土気緑の森工業団地」(千葉県土地開発公社)や、「ちばリサーチパーク」(三菱地所)などの産業用地(工業団地)はありましたが、千葉市〝自前〟の工業団地は持っていませんでした。
 その時、市長から経済部に明大誉田農場跡地を企業誘致で活用できないか検討するよう指示がありました。経済部は産業用地として整備して企業誘致をしたかったのですが、市が自前で整備すると売れ残りのリスクやコスト、スピード感など課題が多く、庁内の合意形成も極めて難しかったのです。そこで、市長が重視している〝民間活力導入の観点〟から検討し「工業団地の造成、分譲は民間企業が自ら担い、周辺インフラ等の整備は市が直接施工せず、民間企業が施工し、その経費を市が〝負担金〟として支出する」という全国でも前例のない手法案を作成しました。
未知数の部分もあったため、庁内では疑問視する意見もありましたが、市長の決断で全国初となる民間企業と自治体が連携した工業団地整備の事業化に踏み切ることができました。
 これは民間活力導入事業の先行的な事例となり、その後の千葉競輪場の再整備(250競輪)、地方卸売市場流通センターの整備、乳牛育成牧場のリニューアルなど民間のノウハウを活かしたスピード感のある事業展開につながり、他自治体やデベロッパーなどから注目されています。

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