第3章 挑戦し、先駆例を次々と生み出す千葉市へ ~都市活性化②~
■ 幕張新都心の活性化
MICE政策、さらには幕張新都心の活性化にも力を入れてきました。MICEとは企業等の会議(Meeting )、企業等の行う報奨・研修旅行(インセンティブ旅行)(Incentive Travel )、国際機関・団体、学会等が行う国際会議( Convention)、展示会・見本市、イベント(Exhibition/Event )の頭文字を使った造語で、これらのビジネスイベントの総称です。簡単に言うと幕張メッセで開催しているようなビジネスイベントです。
私たちはMICE誘致に取り組み、市の組織を拡充したほか、ちば国際コンベンションビューローへの職員派遣を強化し、私自身も積極的にトップセールスを行ってきました。2015年には観光庁からグローバルMICE強化都市に選ばれ、年間 30件ほどだったMICE誘致件数は 65件まで増えています。
幕張メッセの評価指標に、入場者数や(株)幕張メッセの収支などが取り上げられますが、私はそこだけではないと考えています。
入場者数だけ見れば恐竜博のようなマスターゲットのイベントの方が多くの入場者が来ますし、収支だけ考えればコンサートのようなイベントの方が実入りが良いでしょう。
CEATECのような巨大ビジネスイベントを除けば、多くのビジネスイベントはマスターゲットのイベントに比べれば入場者数は少ないかもしれません。ただし、マスターゲットのイベント来場者は多くが半日で帰り、宿泊しないのに対し、ビジネスイベントの来場者は関係者を中心に何泊も宿泊します。当該ビジネスにおける世界的なプレーヤーが集まり、交流し、千葉と関わりを持つことによる効果もあります。幕張新都心、さらには千葉県を活性化するための特殊装置が幕張メッセであり、他の外郭団体と同様に利用者や収支が黒字か赤字かだけではなく、経済波及効果も含めたコンベンション施設としての価値を正しく見極めるべきです。
■ 半島性の克服
幕張新都心全体の活性化にも取り組んできました。ちょうど千葉県が企業庁を収束させ、幕張新都心まちづくりの担い手が県から千葉市へシフトしていかなければならない時期に私が就任したのですが、驚いたのは千葉市が幕張新都心に関する戦略をほとんど持っていないということです。前述したように、幕張新都心は県企業庁が中心となって整備した拠点のため、幕張新都心の持つ真の価値、活かし方が十分に庁内に理解されておらず、イオンを代表とする幕張新都心の企業群とも交流が無い状況でした。私はまず職員とともに、幕張新都心の主なプレーヤーを訪問して信頼関係の構築、課題の把握から始めました。
ここで改めて幕張新都心の価値について私なりの考えを紹介しておきます。そのためには、まず千葉県の半島性について述べなければなりません。
よく1都3県という形で、千葉は東京・神奈川・埼玉とひとくくりにされますが、この中で千葉だけは地理的性格が大きく異なります。神奈川は東京と西日本をつなぐ大動脈、埼玉は東京と東北・北陸をつなぐ大動脈に位置するのに対し、千葉県は半島であり、唯一その先に何もないどん詰まりの県です。
1都3県ではなく、1都2県と千葉、なのです。この認識を持たないと、全ての戦略が見当違いになってうまくいきません。
貨幣経済が発達するまでは千葉県が持つ豊かな土地の力により、農業や漁業に優れ、繁栄してきましたが、商業の発展には人・モノ・お金の往来が盛んであることが重要です。よく伊勢商人、近江商人と言われますが、まさにそうした土地柄が商業を発展させ、商業的才覚にたけた人材を輩出してきたと言えます。
千葉県は半島で、首都圏でありながら人・モノ・お金の往来に不利な土地です。この半島性の克服こそが千葉県の課題であり、だからこそアクアラインは、首都圏の環状道路ネットワークに千葉県を組み入れることで、部分的にでも半島性を克服する意義ある施策だと思います。利用料が高く、その施策効果を発揮できていなかったわけですが、森田県政によって低廉な価格となり、アクアラインの本来の効果が発揮され始めています。
■ 成田と幕張の価値
アクアラインと並ぶ、半島性を克服するカギは成田空港です。成田空港によって千葉県は世界の窓を手に入れ、どん詰まりから「世界と東京の間」という戦略的位置を得ることができました。
私はよく研修で職員に「千葉県は関西に置き換えると和歌山県だ。大阪の隣にあるけど和歌山に用がある人しか和歌山には行かない。しかし、千葉県には成田空港がある。江戸時代でいえば長崎だ。長崎は日本の端だが、当時、数少ない世界をつなぐ拠点だった。千葉県は日本のどの県よりも、世界と日本、東京をつなぐという戦略を持たなければいけない」と伝えています。
「東京と世界の間」という戦略的位置を千葉県が有した中で、文字通り成田空港と東京の間に作られたのが幕張新都心です。日本で最初の本格的なコンベンションセンターを有し、その利用者を想定したホテル群など、世界の人・モノ・お金、さらには情報が集まる国際交流拠点を作ったのです。
幕張新都心は千葉市の重要拠点ではなく、千葉県の半島性を克服するための戦略拠点であり、世界がここに顕現する、世界を感じられる拠点であり続けなければなりません。この存在理由を千葉市はもとより千葉県の関係者がしっかりと理解して幕張新都心を扱わなければ、たちまち旧都心になってしまいます。
千葉市は国家戦略特区に指定され、幕張新都心を中心にドローンや自動運転、 (モビリティ・アズ・ア・サービス:マイカー以外の交通手段によるサービスとしての移動)など先端技術の実証・実装に挑戦しているほか、レッドブル・エアレースなど様々な挑戦をしてきました。年間来訪者が2200万人から4800万人へ倍増し、新駅の整備も着々と進むなど、今や幕張新都心は〝第二の幕開け〟という状況を迎えています。
大事なことは「幕張新都心でしかできないことをする」ということです。世界的な潮流を理解し、それを日本、アジアで最初に幕張新都心で実現する、そうした高い視点を持って戦略を考えていく拠点です。
■ 民間投資を引き出す都市公園改革
私の市政の特徴の一つに「民間活力の導入」があります。市が何でも自前で整備して莫大な負債を作ってしまうのではなく、可能な限り民間との連携の可能性を探り、市の負担の軽減、民間投資の促進を図る視点を私たちは身に着けてきました。都市や経済部門だけでなく、防災において市の追加負担なく、民間事業者に全避難所に太陽光発電と蓄電池を整備する手法はまさに千葉市ならではと言えます。
そんな民間活力導入の中で、大きな成果を挙げてきたのが公園改革です。昭和の森のユースホステル跡地を広域合宿拠点に変貌させたのを皮切りに、魅力的な施設を次々とオープンさせ、専門雑誌でも先進事例として取り上げられるまでに至りました。
しかし、私が就任した当初は、公園部門は非常に保守的でした。鬱蒼とした木々によって見通しが悪く、外部からの侵入を拒むような都市公園が数多くあり、民間を入れる以前の問題でした。樹木の間伐や伐採に消極的な過去の幹部の影響力が公園部門に長く残っている側面もあったようです。
樹木は適切な間伐・伐採をしなければ、樹木自体の健全な成長を阻害しますし、それによって公園が都市空間から隔離されてしまえば、都市公園として整備した意味が失われかねません。
都市公園は公園部門の作品ではありません。私は公園部門の職員に「いくら公園面積を増やしたところで、そこに来る市民が少なければ意味がない。私たちが公園を整備するのは、市民が千葉市で生活する中で緑に触れ、憩い、癒される時間と空間を増やすことにある。そのためには、公園面積だけでなく、来園者数、そして来園者の満足度にも注目しないとダメだ」ということを言い続けました。
■ 民間活力の導入
公園部門が少しずつ変化してきた中で、最初の民間活力の導入が昭和の森で行われます。昭和の森にはユースホステルがあったのですが、全国的な傾向と同様に利用者が伸び悩み、廃止・撤去することとなりました。しかし、堅牢な建物の撤去には8000万円以上の予算が必要です。そこで、簡単に廃止・撤去するのではなく、この建物を何らかの形で活用する民間事業者がいないか、最後まで努力することとなりました。
そうした中で、私が参加している勉強会で知り合った経営者が、千葉県鋸南町の臨海学校跡地をリノベーションして成功していることを聞きました。「うちのユースホステルもリノベーションできないだろうか」と持ち掛け、実際に視察してもらったところ、「東京からも近く、昭和の森は多くのアスリートによって愛されている場所。ここなら首都圏から合宿で多くの人を呼ぶことができますよ」とのことでした。ちなみにこの会社には元陸上競技選手の為末大さんも参画しており、彼も昭和の森はよく知っていました。
公平性を確保するために広くプロポーザル提案を募集し、提案内容が最も優れていた当該企業が選ばれ、リノベーションが行われた結果、ユースホステル跡地は「昭和の森フォレストビレッジ」としてリニューアルオープンし、利用者も大幅に増加しています。
撤去に8000万円以上、毎年の維持管理に4000万円以上が必要だった施設がリノベーションによって市の負担が無くなり、市外・県外からも多くの人を呼び寄せる場所へと生まれ変わったのです。
この成功によって職員は民間活力導入や都市公園の可能性に気づき、次々と新たな挑戦を打ち出していくことになります。
■ 遠浅の海を活かす
次は海辺の活性化です。千葉市は遠浅の海を有し、保養地として森鴎外や島崎藤村などの文人墨客に親しまれ、海水浴や潮干狩りのシーズンには多くの人で賑わった歴史があります。埋め立て後も稲毛海浜公園・幕張海浜公園の先に、いなげの浜・検見川の浜・幕張の浜を整備し、人工海浜の長さとしては日本一です。ヨットハーバーもあり、ウインドサーフィンのメッカでもあります。
私は初めて美浜大橋に来た時、「こんな美しい景色が千葉にあったのか」と驚きました。砂浜、マリンスタジアム、幕張新都心の街並み、東京湾越しに見える富士山とスカイツリー。この美しい光景を眺めながら過ごす海辺のカフェやレストランは海岸線に存在せず、美浜大橋に眺望を目的とした違法駐車が並ぶ状況は、行政として何かが間違っていると思いました。
海辺の活性化としては就任時、千葉市はJR千葉みなと駅周辺に旅客船桟橋や緑地公園を整備するために巨額の投資をしていました。確かに産業港である千葉港には市民・県民が気軽に海に出る空間が無く、横浜や神戸のような「港町」を作る戦略は必ずしも間違っているとは思いません。しかし、千葉市が他市にない海辺の魅力は、歴史が証明している通り遠浅の海であり、砂浜・浜辺であるはずです。それは横浜や神戸にはない地理的特徴です。埋め立て後も引き続き長大な砂浜を有しているにも関わらず、公園以外で活用できていない状況は宝の持ち腐れと感じ、市の最重要施策として取り組むよう指示しました。
そして、千葉市の長大な海岸線をどのように活性化していくか、地元の千葉大学との共同研究や、公募市民及びまちづくり団体による市民ワークショップが重ねられ、海辺のグランドデザインを策定、一連の施策が展開されることとなります。
施策を展開するにあたり、まず職員の意識を変える必要がありました。いきなり大きな変化は受け入れられません。最初は職員が受け入れられる小さな取り組みから開始し、成功体験を重ねて、大きな改革へとつなげる手法をこの分野に限らず私は採用してきました。
海岸大通りの木々は鬱蒼としており、美浜大橋を除けば、すぐ先に海が、ヨットハーバーがあっても、全く見えない状況。昔の写真を見ると、もっと白砂青松、海を感じる空間だったのに、少しずつ変化してきたため職員はこれが普通だと感じていました。
試行的にヨットハーバーの前の樹木を市民ボランティアの方々とともに間伐し、木々の間からわずかに奥の空間が見えるようにしたところ、
「ヨットハーバーが見えるようになった」
「海を感じられるようになった」
と様々な方面から反響がありました。その後も少しずつではありますが、職員が海を感じられる空間・公園づくりを進めてくれました。
そして、2015年に美浜大橋のたもとに展望駐車場を整備したところ、瞬く間に人気スポットとなりました。
2016年にはヨットハーバー近くの公園区域に、シーサイドレストランなどの複合施設が民間活力導入によって整備され、海辺の風景が大きく変わることとなります。こちらは昭和の森に次ぐ、公園での画期的な民間活力導入事例です。
美浜大橋展望駐車場
ザ・サーフ・オーシャンテラス
この施設は開業後、1カ月以上も予約待ちになる等、千葉市の海辺を一望できるレストランとして人気を博し、すぐに拡張工事が行われました。千葉市の海辺の可能性が引き出され、稲毛海浜公園の利用者が増加しただけでなく、事業者からは毎年3700万円の使用料が支払われることで財政効果を上げながら活性化を図ることができています。
こうした公園の新たな活用は全国的にも取り上げられ、千葉市の公園部門は先駆者として大いに評価されました。その後も、泉自然公園に自然共生型アウトドアパークを導入したほか、乳牛育成牧場を観光牧場としてリニューアルする事業、稲毛海浜公園ではウッドデッキ・温浴施設・バーベキュー場・グランピングなど、海辺のリゾートとする事業が民間との連携によって進行中です。
多くの人たちが憩える公園本来の価値を残し、民間の知恵と工夫によって公園の価値をさらに引き出すため、この間、職員は挑戦し続けてくれました。
東京から来た人が、東京では味わえない砂浜の風景を楽しみながら優雅な気分で食事をする。泉自然公園のフォレストアドベンチャーも、東京ではできないアスレチックなどの体験を東京のすぐ隣の千葉で体験できる。東京のすぐ側でありながら雄大な自然がある。そこにこそ千葉の価値があります。
職員の回想 ~元都市局次長(河野 功氏)
○弱った木を切り有効活用
市長との関わりで私が一番思い出深いのが稲毛海浜公園検見川地区のレストラン「ザ・サーフ オーシャンテラス」です。老朽化していたヨットハーバーの刷新を考えていました。隣には変わり種の自転車広場がありましたが、使う人もいなくなったので、そこから民間の企画提案を求めました。もともと広場なので、電気やガス、水道などのインフラが足りなかった上、アクセスも悪かったので、行政が最低限の整備をして、民間事業者が運営できるよう役割分担をしました。
周辺の松林の間引きにも取り組みましたが、松は群生しないと生育しにくく、技術者の間では大規模公園は入園したら木々で周囲の市街地が見えない非日常的な空間をつくるよう設計するものだと伝わっており、現場からは抵抗がありました。私はそれまで都市部畑で、公園整備の常識はよく知りませんでしたが、「ヨットハーバーだけは海が見えないのはもったいない」と思っていました。そこで現場事務所の先輩に頼み、弱っている木から間引きしてもらいました。結果的に松の生育が極端に落ちることはなく、見通しも良くなりました。周囲の団地からも大きな苦情は出ず、むしろ防犯の観点から鬱蒼としていた別の樹林地の伐採も要望されました。弱った木を切り跡地を活用するという手法は泉自然公園のフォレストアドベンチャーなどにも生かされています。
職員の回想 ~元公園緑地部長(山下 光男氏)
○利用者視点こそ人を呼ぶ
「ザ・サーフ オーシャンテラス」が完成し、オープンを待つだけという状況になった時、市長から「真ん中だけできて、その周辺はどうなのか」と問われました。「海浜大通り付近の木々を剪定し、海が見える形に」という話もありましたし、ちょうど夕日と富士山が重なる「ダイヤモンド富士」が注目されるようになり、車を止めて眺められるよう駐車場を造りました。
動物公園ではライオン舎を造りましたが、老朽化した遊園地をどうするかも問題でした。そこで民間活用の一環で子どもたちが動物と触れ合える「ふれあい動物の里」を同時オープンさせました。さらに将来的な来客増へチーターが走り回る様子を観察できるエリアも整備しています。これも市長の「周辺はどうなのか」というヒントが生きています。
千葉公園の大賀ハスまつりでは「平面で見るより立体的に見た方がよい」と言われ、高見台を造りました。すると見え方が全然違うので、近くの山の頂上から見えるように木を剪定しました。近くのレストハウスで軽食が取れましたが、水に親しめるようにとオープンデッキを作りました。公園の建ぺい率の問題もありますが、せっかく公園があるのになぜデッキを作るのか、従来の発想では出てきません。花が見やすいように、水に親しめるようにと市長は常に利用者の視点で様々なヒントを出してくれました。押しつけではなく、職員にヒントを与え上手に動かしてきたのだと思います。今では利用者の視点に立つことこそ〝人を呼ぶ〟ということだと思います。