第2章 決断の積み重ねと職員の創意工夫 ~行財政改革③~

■ 挑戦 焼却ごみ3分の1削減

 様々な行財政改革に着手した一方で、前市政から引き継いだ施策もあります。
 その最も大きなものが「焼却ごみ3分の1削減」でした。可燃ごみを処理するために、千葉市には新港、北、北谷津の3つの清掃工場がありました。これらを運営するにも多額の税金がかかります。そのうちの1つ、老朽化が進んでいた北谷津清掃工場を2016年度末で廃止することを目指して2007年度より開始した施策で、年間焼却ごみ量 25万4000トンを目標にごみの減量やリサイクルを推進し、ごみ焼却に要する経費を削減する取り組みです。
 まず市長就任後に、リサイクルできる古紙・布類の回収日を月2回から週1回に増やし、その代わりに週3日収集していた可燃ごみの収集日を週2日に減らしました。
 結果としては、実施した2009年度は前年度と比べて焼却ごみは約1万5000トンも削減され、焼却ごみ削減とリサイクルの推進に大きな効果を発揮しましたが、市民からの反応はもう不評でした。「週2回では生ごみ等が腐り、ニオイが耐えられない」、「市長は独身(当時)で生活感が無いからできるのだ」等々。実はこの施策は既に前市政から決まっていたものですが、当時は賛同していた会派も批判に回ったり、とにかく大変でした。
 この当時でも週に3回も燃えるごみを収集している市は少なく、大半が週2回でしたが、長く千葉市に住んでいる人は週3回が当然だと思ってしまうので、他の自治体の状況等が客観的に分かるような伝え方が必要です。また、ごみの削減が自分たちにどう関係しているか、分かりやすく示すことも重要で、これらの教訓が次の施策に生かされました。
 その後は削減ペースが低下し、いよいよ足踏み状態が続きました。そうした中で、前市政でも研究されてきた家庭ごみ手数料徴収制度を導入することとなります。ごみ処理費用の一部を指定ごみ袋の販売額に含める手法で、2012年 10月時点で全国の市町村の約6割が導入しており、1リットルあたり大体1~2円程度を上乗せしていました。
 手数料を導入していない状況では、市民がごみの減量やリサイクルに取り組むインセンティブは無く、環境問題に意識ある市民しか協力してくれません。結果、ごみ減量やリサイクルに協力的でなく必要以上にごみを出す方の処理費用を、全員が等しく分担していることになります。
 生活インフラは電気、ガス、水道など基本的には従量制となっており、節電や節水することで家計の節約にもなるからこそ、社会全体で最適化が図られます。携帯電話も最近は通信使用料に応じて負担額が変動する形となっています。
 全員が等しく使用し、分担するものはある程度従量制を入れることが必要ですが、いくら社会にとって最適な制度でも、市民一人一人からすれば負担増で、非常に反発の強い施策です。

■ 政治生命を懸けた 手数料徴収制度の導入

 議会でも相当な議論をしていただき、市民説明会もあらゆる場所で行い、職員一丸となって施策の意義を説いて回りました。他自治体の実施状況、実際にどれくらいのコストがごみ処理に投じられ、それが最適化されることで市民にどのようなメリットがあるのか、分かりやすく数字やグラフ等を示していき、対話に次ぐ対話でした。
 制度は2014年2月から始めましたが、制度の実施は2013年2月の市議会で決定されました。首都圏の政令市ではどこもやっていませんでしたし、市議会でも相当の議論はありました。
 2013年5月には市長選が控えており、選挙のことだけを考えれば、しばらく内部で検討して、選挙後に条例を可決させるという手もありました。選挙を第一に考える人なら、むしろそれが常とう手段です。実際、所管からはそういうスケジュールを提案されました。しかし、「やらざるを得ないことなら1年でも早いほうが良い。1年間も丸々無駄な時間を費やすことはない。むしろ、選挙で市民に方向性を示しそじてょうおくべきだ」。
 そう思い、市議会の俎上に乗せました。議会の意見を受け、1リットル1円を0・8円に下げましたが、主要会派がごみの減量という目標に理解を示してくれたおかげで条例は成立し、有料化は既定路線として選挙戦に突入しました。
 条例は成立していますが、有料化はまだ始まっていませんから対立候補が勝てば、その市長の一存で「やめよう」と思えばやめることができます。選挙で市民にこの決断に対する判断を仰いだのです。
 選挙が終わり、この制度がスタートした2014年は、大幅に焼却ごみの総量が減りました。1リットル0・8円というのは政令市でも最も低い手数料でしたから、その分削減効果が低くなるリスクがあり、目標削減量に到達しなければ自分自身、責任を取らなければいけないと覚悟をしていたので、実際の数字を見てホッとしたことを覚えています。

■ 職員一丸 悲願の目標達成

 この結果、2清掃工場で運用するために目標としていた焼却ごみの総量 25万4000トンを下回る 25万531トンとなり、目標を達成。
 これにより、無事、北谷津清掃工場を2017年3月末に閉所することができました。3工場運用から2工場運用体制に移行した結果、毎年3・7億円の財政効果が生まれ、職員・市民とともに取り組んできた大プロジェクトは成功裏に終わりました。
 このプロジェクトの達成には局長・部長以下、職員の努力が大きかったと思います。私自身が前面に立ち、あらゆる媒体を使って広報しましたが、所管が綿密な計画を立て、地道な説明努力を重ねてくれました。また、手数料徴収制度に理解を示してくれた千葉市町内自治会連絡協議会の関係者、賛同いただいた当時の市議会、議会調整を担当した藤代元副市長など、多くの人々の努力の積み重ねに心から感謝しています。

■ 大都市リサイクル率1位

 市民とともに取り組んできた成果はごみ処理経費だけでなく、リサイクル率にも表れています。
  50万人以上の大都市におけるリサイクル率において千葉市は2010年度以来、8年連続で堂々の1位となっており、年々その差は広がっています。
 なお、手数料徴収制度を導入する際に、周辺市からは「千葉市はお金がないから有料化するのだ」と言われたことがあります。
 私は豊かな市の市長であったとしても手数料徴収制度を導入したでしょう。行政の効率性を高め、市民の税金が1円でも有効に活用されること、負担の適正化によって公正な行政を確立すること、この視点から導入しました。これからも丁寧な説明や粘り強い調整を行った上で、行政の効率性をさらに高めていきたいと思います。

職員の回想 ~当時の収集業務課長~

○焼却ゴミの量の削減
 循環型社会形成推進基本法や容器包装リサイクル法などの個別リサイクル法などの環境関連法の制定等の社会情勢の変化に伴い、3Rの推進が常識化したが、本市では、清掃工場の老朽化が進む中で、特に焼却ごみ量の削減に着目した。
 廃棄物処理の長期的かつ総合的な指針となる「一般廃棄物(ごみ)処理基本計画」(2007年3月策定)において、「環境と資源、次世代のためにできること~挑戦!焼却ごみ1/3削減~」をビジョンとし、焼却ごみ 10万トン削減を目指すこととしていた。
 熊谷市長の下、同計画の改定が2012年3月に行われ、「まだできる!ともに取り組むごみ削減・一歩先へ」をビジョンとし、継続した焼却ごみ削減を推進し、「3清掃工場体制から2工場体制への移行」を強く打ち出しており、それまで順調な削減が続いていたが、あと一歩をどのように詰めていくのかが、重要な時期であり、不退転の決意が示された計画となった。
 なお、日常生活の習慣を変えごみを減らす必要性を理解していただき、実際の行動に結びつけるためには、「動機付け」が最も重要である。その点、従来の「分別徹底」から焦点を絞り込んだ「焼却ごみ削減」にシフトさせたことは効果的であったと評価できる。
 ごみの収集や処理は、市民に最も身近な行政サービスの一つである中、熊谷市長が先頭に立って住民説明会に臨むなど、市民の合意形成に向けて陣頭指揮をとっていただいたことが、事務方として何より心強く感じていた。
 これを支えに、手数料徴収制度の説明会(町内自治会等に580回、中学校区 55回、直前説明会6回、外国人説明会 12回など)やキャンペーン(駅前 10駅、ごみステーション早朝啓発970地区)に職員が団結して実施することができた 。首長が政治生命を懸け、全庁体制で職員が目の色を変えて取り組んだ事例は後にも先にもないと思う。

 こうした職員とともに取り組んできた施策の積み重ねの結果、2015年度決算で将来負担比率が政令市ワースト1位を脱却、その後も比率は低減し、2018年度決算では145・5%まで改善しました。私が就任した2009年度の将来負担比率は306・4%でしたから、9年で半分ほどにまで将来負担を軽減することができたと言えます。
 また、2016年度決算において実質公債費比率が 18%を下回りました。 18%を超えていると市債を発行する際に総務省の許可を得る必要があるので、晴れて普通の自治体に戻ったということになります。将来負担比率が政令市ワースト1位を脱却し、起債制限団体から脱却したことに伴い、脱・財政危機宣言を解除しました。その後も実質公債費比率は低減し、2018年度決算では 13・8%まで改善されています。
 2017年度決算では国民健康保険の累積赤字を 11年ぶりに解消しました。前市政から始まり、一時は120億円近くまで累積赤字が膨らみましたが、「国民健康保険事業 財政健全化に向けたアクションプラン」を策定し、着実に健全化を進めた結果です。
 ほかにも禁じ手であった市債管理基金からの借り入れ、都市開発公社など外郭団体を活用した債務負担行為についても苦しい財政状況の中で少しずつ返済を進めています。このように前市政から引き継いだ多くの負の遺産が解消されてきました。大掃除にめどがつき、次の世代に良いバトンを引き継げます。
 また、私が就任した際にはほぼゼロに近い枯渇状態だった財政調整基金もいざという時のために少しずつ積み立ててきました。「もう一度リーマンショック級の不景気が来ても耐えられる程度に財政調整基金を積み立てよう」と目標を定めていましたが、今まさに新型コロナウイルスによってリーマンショック以来の経済危機が訪れようとしています。市内経済が危機的状況となり、税収が大幅に落ち込んだ、あの時の再来を覚悟しています。
 しかし、あの時と違うのは千葉市の財政状況です。苦しみながら負債を減らし身軽になり、ある程度の基金の積み立てがあります。市民や企業を支えるために機動的に財政出動を行うなど、最大限の措置を取っていきます。
 苦しい財政状況の中で、市債を返済し、市債管理基金からの借り入れを返済し、国民健康保険の累積赤字を解消し、財政調整基金を積み立てるのは本当に苦しい道のりでした。この間、自らも給与削減されながら歯を食いしばって創意工夫をこらし、時には議会や市民からの反発に耐えて説明を尽くしてくれた職員に心から感謝します。
 この苦しい道のりの中で千葉市に根付いた行革マインドを今後も引き継ぎ、そして今後の市長を始めとする執行部や議会が責任ある財政運営をしてくれると確信しています。



■「晴れて脱出、財政危機」の要因

 振り返ってみれば、これは自分が想定した以上の結果です。正直、これほど市民の支持が続くとは思っていませんでした。厳しい改革を続けてきましたから、2回目、3回目の選挙は厳しいものになると覚悟していました。それどころか、「もっとぜいたくをしたい」と市民に甘い言葉を投げかける候補者に敗れるということも十分想定されました。
 市長就任当初は市民の皆さまや議会の方々が、これほど私についてきてくれるとは期待していませんでした。就任時に、私が断行する必要があると考えていたことはほとんど実現できていますし、むしろ想定した以上に進んでいると思います。反対などにより足踏みせざるを得ない部分や戦略的撤退を余儀なくされると思っていましたが、自民や公明、民主を含め、市議会の議員の皆さまが私の考えを理解し、信頼してくれたのが大きかったと思います。
 私は市長選挙で初当選を果たした後、自分の支援者だけでなく、むしろ対立候補を支持した方々との意見交換を積極的に行いました。様々な立場の方とざっくばらんに意見交換し、できるかぎり胸襟を開いてお互いに意見をぶつけ合いました。副市長として残ってくれた藤代さんは議会との調整で本当によく頑張ってくれましたし、千葉商工会議所の故・石井俊昭会頭など経済界にも後ろから支援してもらいました。千葉市・千葉県選出の国会議員とも早くから信頼関係を築けました。これは私の努力と言うより、時の運、人との巡り合わせの運があったからとしか言いようがありません。私は本当に恵まれていると思います。
 議会との信頼関係が築けたのは、予算の組み立て方も影響があると思います。私たちは予算案を編成する際、詳細まで詰める前に各会派とオープンな場で意見交換を行い、意見を予算案に反映しています。さらに、年度途中に将来見直しが必要な事業の議論を内部で行う際も、適切な時期に会派に相談し、詳細を確定しています。
 私はメディアに取り上げられることも首長の中では多い方ですし、どうしてもトップダウンで決めているように見られがちですが、私が対外的に発表している施策は全て庁内、もしくは議会と調整した案件がほとんどです。議会は市政のパートナーですし、互いに相談しながらやっていかなければならないモノなのです。
 職員に対しても、ランチミーティングなどで対話を意識してきました。職員の価値観や行動理念を知りたかったからです。よく一緒に飲みに行きましたし、昼間は一緒に食事をしました。たしかに給与カットの反発はありましたが、意見交換でもの申す職員も当然多くいました。でもそういう意見を言う人を私は必ず使っています。市長にもの申す職員は問題意識がはっきりした能力が高い職員が多いのですし、そうした職員が遠ざけられていると感じるような人事は絶対にしたくはありません。

ダイバーシティ事業推進本部とランチミーティング

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